人生初の工場勤務
私が初めて工場勤務を経験したのは、22歳、大学4年生の時でした。
周囲の同級生は、順調に卒業をし、新社会人として頑張っている頃、私はというと、4年制の大学なのに“勉強が好き”なために、5年目を迎えていました。
授業数もそれほど多くない環境だったため、派遣会社に登録をして、自分がやれそうな仕事があるとエントリーして働くというスタイルを取っていました。
そんな私が、初めて派遣の仕事で選択したのが日産の工場での派遣でした。
元々、体を動かすことが嫌いではなく、自動車も好きだったこともあって、そんなに苦にはならないだろうということで、あまり深く考えずにエントリーをしました。
翌日、派遣会社から「日産の派遣のお仕事お願いします。必要な道具を準備して、明日から仕事に行ってください。」という連絡が入りました。
時給は、970円。
田舎から上京していた私にとってはこんなにもらえるのかという感覚でした。
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眺望と現実のギャップ
よく自動車メーカーの特集やCMなどで生産ラインの映像があったりしますよね。
私の中の自動車工場勤務のイメージってまさにCMのイメージだったんです。
あこがれの日産車が触れるんだと思ってウキウキしながら仕事に向かいました。
派遣会社より指定された格好で工場へ入ると、CMの明るいイメージとは違い、そこはまるで迷路のように入り組み、加工機のオイルのにおいと、中で走りまわるフォークリフトの残り香が漂っていました。
休憩所へ顔を出すと、その区画の責任者の方がおり、挨拶をされました。
「おはようございます。今日からよろしくね。」
「よろしくおねあいしゃす。」
と、緊張のあまりカミカミの挨拶だったのを思い出します。
「仕事は8時から5時で休憩は10:00と15:00からそれぞれ30分、昼は12:00から1時間だからね。」
と続けて言われ、「休み時間そんなにあるの?ラッキーじゃん!」と思っていました。
この理由がのちのちわかることになるとも知らずに…
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休憩が多い理由は作業内容にあり
実際の作業内容は、「海外へ輸出するための部品をひたすらパレットに梱包する。」という作業でした。
なんだ、ひたすらやるだけかと思っていたのですが、甘かった。
当然自動車部品ですから、一つ一つの重量が重いんです。
私が勤めた区画は、エンジンの部品を詰め込んでいたのですが、エンジンブロックというエンジンのメインの部品が非常に重く、1パレット作成するのに何百キロという重さ詰め込まなければならないんです。
そのほかエンジンヘッドにクランクシャフト…重量感のある部品は何種類もあります。
後で計算したのですが、1日なんと3トンもの資材を詰め込んでいました。
3人いたので、1人当たり1トンを手作業で詰め込んだことになります。
当然重くて足を引きずるように詰め込んでいましたから、新品で買った安全靴は、1か月もたたぬうちに靴底が減り、穴が開いていました。
「なるほど。だから休憩時間がね。」と休憩時間が多くある理由をそこに感じました。
当日、一緒に仕事に行った同じ会社の人たちは1日でやめていきました。
そうすると翌日違う派遣者が補充されるのです。
人間が入れ替わるたび、責任者の方は、また、作業方法を一から教えることになり、大変そうでした。
ある日、「入れ替わると毎回大変そうですね。」とをかけると、その責任者は、「君みたいに継続して来てくれて、作業も効率よくやってくれると助かるんだけどね。直接ウチで勤めない?」と言われました。
人生初の「ヘッドハンティング」か。と思って、少しばかり優越感に浸ったのを覚えています。
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仕事を通じて感じたこと
人生初の工場勤務は、いわゆる「重労働」のカテゴリーでした。
しかし、私は、お金がもらえて、体を鍛えられて、自分が必要とされていることにうれしさとやりがいを感じていたので、苦にはなりませんでした。
大学の過程をその年の9月に修了したために、日産でのお仕事は、2か月程度しかできませんでしたが、自分の視野を広げるためのいい材料になったと感じています。
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勤務した会社:日産自動車株式会社
口コミ提供者:30代男性
口コミ提供日:2019/3/11
