はじめての東京

関西出身の私が東京に移住するきっかけとなったのが「日野自動車」さんでした。

当時は音楽制作やオーディション活動に明け暮れていて、仕事への意識は半分くらい。

週末や休みの日はずっと音楽活動をしていました。

仕事をしながら、寮生活はうまくやれるのかな。最初はかなり戸惑いがありました。

いろいろな葛藤を打開し、自分から積極的に同僚や先輩に話しかけていくことで、同じく寮に住む人との関係は良好に築くことができました。

ほぼ毎日のように部屋飲みをしていましたね。

男子寮だったため、女性は入室禁止です。女の子と遊びたいときは外に遊びに行っていました。

寂しがり屋だった私は、常に近くに誰かがいるという環境を、楽しんでいたわけです。


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東京で出会った自動車の仕事

私の仕事内容は、部品をラインに届ける仕事でした。

大半はライン作業に入っていましたね。

小さな電気自動車で現場の通路を往来するので、楽に感じる部分と、時間内に届けないといけない焦りの部分と、両方がありました。

工場で働くことは、ある意味作業がワンパターンですから、覚えることが少なく、私には向いていました。

日々の仕事に変化を求める人には難しいかもしれません。

私は工場で働く以外に、趣味や目標があったため、単純でいい仕事だと思っていました。


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工場の社員食堂

工場の社員食堂では、そばやカレーライスセットが500円で食べられました。

外で食べるよりも毎食かかる費用が削られて、食費はかなり浮いた気がします。

食券も給料前借りのシステムです。

サラダなどもあり、バランスが考えられた献立だったので、栄養の偏りはなかったです。

関西時代、アパートで一人暮らしをしていたときより、肌ツヤは良かったですね。

定食は日替わりで、毎日の楽しみの一つでした。

常に仲間たちと食べていたので、とても楽しかったです。


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工場で働く魅力

お給料の安定性と、厳しいノルマに縛られないというところですかね。

借金がある場合にも、貯金がしたい場合にも、寮と社員食堂の活用次第で、必ずいい方向にもっていけるはずです。

上京して右も左もわからなかった頃に、いつも近くにいる仲間や寮生活というワンクッションがあったことで、通常よりも苦労が少ない暮らしだったのは間違いないです。

一方で、友達作りな苦手な人も、自分の目標のために淡々と仕事ができる環境で、誰にも邪魔されずに仕事をすることもできますよ。

ただ、女性が職場にほとんどいなかったので、女性がいる職場で働きたい人にはおすすめしません。

工場で働いたことは何よりの思い出に

ここのお仕事は期間満了で満了慰労金が出たり、福利厚生も万全です。

しっかりコミュニケーションを取り、真面目に働くことができる人であれば、社員になれる制度も導入されていました。

当時、私も声をかけてもらったのですが、もう少し都心に住みたい希望から断りました。

私の場合は、円満退社というか、期間満了で割り切って巣立っていくこととなりました。

いろいろな地方から人が集まるので、県民性の違いやギャップに戸惑うこともかなりありました。

最終的にはこの工場で働いた経験がつめたこと、これが今も何よりの思い出になっています。


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これから期間工を選ぶ方へ

今は結婚をして子供がいるので、当時と同じ条件で働くことはできませんが、もう一度当時の生活や仕事をしたいかと問われたら、答えは「イエス」です。

正解がわからなくてもポジティブに生活を送っていくのが、工場勤務や寮生活を楽しく過ごす秘訣だと、私は思います。

あとはサクセスストーリーとして、音楽で成功していれば、最高でしたね。

これから期間工の仕事を選ぼうとしている人は、自分に向いている仕事がなんなのかわからない人も多数いると思います。

手当り次第やってみて早々と諦める決断をするより、期間工従業員というスタイルで、人生の基盤づくりをして何かを見出すのも一つの手段かなと。

僕は思います。



勤務した会社:日野自動車株式会社

口コミ提供者:20代男性

口コミ提供日:2019年