変化した工場労働への認識
私が大学を卒業した頃は超就職氷河期だったので、同級生の中でもまともに就職した人は少なかったです。
私も就職できなかった組で、フリーターをしながら工場の派遣労働に登録しキャタピラ作りの工場へ派遣される事になりました。当初の思いとしては工業高校を卒業したような男の子が働く場所だと思っていましたが、正社員の就職が難しい中で選んでいられないと思うようになり、一生懸命働こうと感じるようになりました。
確かに頭を使う仕事ができるのは自分の理想ではありましたが、肉体労働は体力的な疲れがあり、終業時に一生懸命仕事をしたのだという充実感を得ることができました。
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職場の人間関係
就職したばかりのころは新人であり機械の使い方を教えてもらう所からスタートしました。しかし、職場の方はみな無口な方が多く打ち解けるのが難しかったです。
そんな中、初めて夜勤の勤務をするようになった時の事です。夜勤時は労働者も少なく動く機械も少ないのですが、自分の作業が早く終わったので周りでまだ作業をしている方の仕事を手伝う事にしました。この時に初めて無口な先輩に感謝の言葉をもらい、休憩時間に缶コーヒーをおごってもらいました。
これをきっかけに少しずつ自身の事や、家庭の事、趣味の事などを話すようになり、最後は一緒に飲みに行くようにもなりました。
同じ作業を行い、毎日汗を流しあう仲間ですので、仕事終わりに飲んだビールの味は忘れられないくらい美味しかったのを今でも覚えています。
同じ苦労を味わい乗り越えたということが、同僚との親密さをあげてくれたのだと思います。
思いがけない額の給料
大学を卒業してからフリーターしか体験してこなかったので、工場への派遣労働という立場でしたが最初の給料で手取り30万を超える給料をもらったのですごく驚いたのを覚えています。当時、大学を卒業した者で額面が20万少しだったと思いますので、破格の値段だったと思います。
忙しい時には40万円を超す手取りもありました。しかし、派遣ですので安定した雇用やボーナスはありませんので、社員の方のボーナスの額を聞くと大きな差を感じました。
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十分な休養と夜勤日勤の切り替わり
土日には彼女と休日を合わせて旅行に行っていました。しかし、忙しい時期になると土曜日の勤務があり仕事に行かなくてはならないこともありましたが、給料が良かったので頑張りました。ですので、土日のどちらかが潰れたとしても休養は十分に取れていたと認識しています。
ただ、少し辛く感じたのは夜勤から日勤への切り替えのときです。夜勤で眠くならないためにも昼間は十分な睡眠をとっているのですが、土日の間に生活を逆転する必要があります。このタイミングに失敗すると夜勤がとても眠くなり作業に支障をきたすことになってしまいます。
この夜勤と日勤の変化に対応できるようになると工場勤務が一通り慣れてきたように思えました。
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勤務した会社:長津工業 淀工場 (KOMATSUの部品下請け工場)
業務内容:重機履帯の切削加工
口コミ提供者:30代男性
口コミ提供日:2019年6月25日
