今から約17年前、エスティーエルシーディーと言う、ソニーと豊田自動織機が合同で立ち上げた会社に入社しました。本拠地は、愛知県知多郡東浦町になります。

仕事の内容は、携帯電話やカーナビの液晶部分の製造をしていました。


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「工場で働く大変さ、やりがい」

”仕事は、黙々と”

まず、自分が工場で働こうと思った理由の一つが、休日がしっかりしていると思ったからです。

高校を卒業したての自分には、とりあえず就職という気持ちしかなかったので、特に仕事内容で選んだつもりはありませんでした。

入社して1日だけ研修で、2日目からは普通に工場内で働くという感じでした。

働くといっても、仕事内容は、液晶にキズなどないかをひたすらチェックし続ける、ライン作業でした。

自分のグループは、3人1組でやる現場でした。

一番最初の人が、液晶を軽くチェックしてラインに乗せる。

次の人が、キズなどないか、目視でしっかり見る。

最後の人が、最終チェックをして次の工程の場所に回すといった流れでした。

大変さといえば、毎日同じことをやり続ける忍耐力をつけることです。

1日の時間が経つのが、本当に長かったです。

与えられた仕事をただただやるだけです。

「働いて良かったこと、悪かったこと」 

”安定と不安”

働いて良かったといえば、大手企業同士なので、安定感はあります。

まわりにも羨ましがられた記憶がありますが、現在豊田自動織機は、液晶事業から撤退してしまったため、以前までの安定感はなくなったかもしれません。

どんな、大手でも絶対はないということです。

「休日の過ごし方」

”土日休みの友人とはなかなか遊べない”

自分の現場は4勤2休制でしたので、土日休みになることはあまりありません。

だから当時はなかなか友達と休みの予定が合わず、一人で休日を過ごすことが多かったです。


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「年収や給料」

”残業あっての工場”

年収は、やはり大手だけあって安定するイメージがあります。月収は、高卒だとよくても20万ぐらいでした。ただ、ボーナスはそれなりにもらえました。高卒でも年2回のボーナスで1回50万近く貰えました。

しかし、工場勤務で稼ぐなら、やはり残業と夜勤が付き物です。

残業が多くあった月は、月収40万ぐらいありましたが、今はなかなか残業もできない時代なので、工場勤務でも難しいです。

「職場の人間関係」

”入れ替わりの激しさ”

自分が働いていた現場は、比較的若い年齢の男女が働いていたので、楽しく働けていました。やはり長く勤めるには、人間関係が一番大事なのかなって思っています。

自分もそうでしたが、現場のラインに入っている従業員は、ほとんどが契約社員もしくは派遣社員だったと思います。だから、早い人は1週間もしないうちに辞めてしまっていました。人間関係を築く前に人が入れ替わるので、なかなか仲良くまでなれる人はいませんでした。

「女性でも安心して働けるか」

”男女誰でも安心です”

女性からしてみたら、工場はキツそうで、男性向きのイメージがあるかもしれませんが、自分が働いていた現場は、男女比は5:5ぐらいでした。

正直、重たい物を持つといった作業もありませんし、現場は完全クリーンルームになっているため、年中23度に温度設定してありました。

作業着も、目しか見えない作業着なので、正直女性なのかもわからない時があります。

仕事自体は、誰でもできるような仕事でした。


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「工場で働く魅力」

”やはり食堂です”

工場で働いていて、何が一番楽しみかといったら、やはりご飯です。

企業によって食堂の形式は違うと思いますが、自分が働いていた工場の食堂は、好きなものを好きなだけ取ってレジに向かう、ビュッフェスタイルでした。

しかも、格安なのでかなり助かりました。

現金ではなく給料から天引きになるので、払っている感覚がなくなってしまうのが悪い点かもしれませんが、自分で気をつけるしかないです。


最後に

最終的には、私は工場を辞めてしまいました。

原因は、単純に向いてなかったからです。

仕事は、やり甲斐あってのものだと、工場勤務を経験してよくわかりました。

それがわかっただけでも、かなりの成長だと自分は思っています。

工場とは、自分の精神を鍛え、将来をじっくり考えるには最適な場所だと思いました。