派遣社員になったきっかけ
私はもともと長距離トラックのドライバーとして、全国を駆け回っておりましたが体力の限界を感じて退職しました。
また、ちょうどその頃、就職氷河期にあたってしまい正社員としての就職が叶いませんでした。
そこで私は派遣社員に登録しました。
私は派遣社員という言葉も知らないまま登録してしまいました。
そこからが私の派遣生活の始まりでした。
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はじめての派遣社員のお仕事
最初に赴任したのが長野県の塩尻市にある会社でした。
そこでは、プリンターヘッドの製作に携わり、約3年間を過ごしました。
待ち合わせ時間から1時間待たされました。
その時の不安な気持ちは今でも憶えています。
派遣というはじめての雇用形態で実態もよく知らず、緊張していました。
寮が準備出来ていなかったので、夜は、塩尻インター近くのビジネスホテルに宿泊しました。
私は「この会社、大丈夫かな」と不安に思いました。
翌日、健康診断を受けて契約書を書いてはじめて寮に案内されました。
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広くて綺麗!快適な寮生活
寮自体は、前任者が水漏れを起こしたらしくリフォームされていたので、かなり綺麗でした。
また、幸いなことに他に寮が空いてなかったので2DKの広い部屋でした。
勤務地は塩尻市でしたが、寮は松本市にありました。
環境は静かで良いところだったのですが、広い部屋でポツンとひとりになった時、急に寂しさが込み上げてきました。
冬の寒い時期に赴任したものですから、寒いやら不安やらで寂しさが増すばかりでした。
寒かったのですが、幸い、マイカーで赴任していたため、灯油を買いに行くことができました。
まだ、あの頃はエアコンなどついていなかったので灯油を買わなければいけなかったのです。
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仕事内容について
翌日、さっそく勤務先に案内されて、その日から仕事が始まりました
プリンターヘッドを作っているだけあってクリーンルームでの仕事でした。
防塵着の着方からクリーンルームでのルールなどの説明を受けました。
仕事内容は座り仕事で4勤2休の日勤専属です。
はじめての工場で、12時間勤務でした。
今では、そのようなことは当たり前だと思っておりますが、当時は、はじめての工場勤務だったのでそんなに長く働くのかと思いました。
そして松本市での寮生活がスタートしました。
仕事内容はプレス機を使い製品の一部を抜く仕事をしていました。
割と単調な仕事で眠気がさして困った事を覚えています。
3ヶ月を過ぎた頃、他の工程も覚えて欲しいと依頼され、全部で7工程を習熟しました。
そして約1年半で工程リーダーを任されるまでになりました。
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会社でできた仲間達
私生活では、社員さんをはじめ、派遣仲間も良い人達ばかりだったのでカラオケに行ったり、派遣仲間の部屋で鍋パーティーをしたり、休日にはドライブに行ったりしてすごく良い人間関係が作れました。
まさに公私とも充実した日々でした。
派遣生活を良いものだなと思っている矢先、約3年勤務した会社から、減産のため規模を縮小するという事で、突然契約打ち切りの通告を受けました。
今で言う派遣切りというものを体験しました。
おまけに派遣会社が倒産合併して、次の仕事を紹介してもらえず派遣仲間全員路頭に迷いました。
仲の良かった仲間たちともバラバラになり悲しい思いをしました。
しかし、その派遣仲間のなかから、今でもお付き合いしていただいているK君との出会いが唯一の救いでした。
こうして私の派遣生活第一幕は終わりを告げ、次の派遣会社へと流れていきます。
この後、次から次へと派遣会社を渡り歩き、現在の派遣会社と派遣先へと流れついたのでした。
現在は、ライン作業に携わっていますが、はじめてのライン作業で苦戦しております。
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勤務した会社:非公開
口コミ提供者:50代男性
口コミ提供日:2019/3/15
