結婚前に無職はやばい その思いで期間工に応募

26歳の時の話ですが(口コミ取得時50代)、日産自動車の期間工に応募し採用されました。
応募した理由についてお話しします。古い話しにはなりますが、以前勤めていた会社が不況のあおりで吸収合併することになりました。勤務していた静岡市の事務所は閉鎖、大阪地区に全社員異動となるということになり、上司と話し合いの場が設けられました。
私は、結婚を控えており、どうしても大阪地区には異動したくないと思っておりましたので、次に働く会社のあては無かったのですが、思い切り退職することにしました。
とは言っても、手っ取り早く稼げて、お嫁さんになる人やお嫁さんの親を安心させるにはどうしたら良いかと考えたところ、とりあえず知名度のある会社に潜り込んで、結婚してから、安定した正社員を目指せば良いと思い応募しました。
*正直言うと、結婚前に無職ということがバレたらヤバイと焦っていました(*_*;


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日産自動車の広告を発見 即応募!即採用!

当時の求人募集は、現在のようにインターネットなどはありません。求人誌を本屋さんで購入するか、新聞の求人欄や折り込み広告、職業安定所に行くしか情報は受け取れません。
私は、本屋さんで求人誌を購入しましたが、そこで一番大きく派手に求人を行っていたのが、日産自動車の期間従業員募集の広告でした。当時は現在より給料が良かったと思います。
もしかしたら派遣会社というもの自体がなく、直接応募という形を取っていたからかもしれません。とにかく、求人誌に書かれている電話番号に電話をすると、ある場所に呼ばれて面接を行いました。(うろ覚えですが、地元の職業安定所に面接官が来ており、そこで面接を行ったという記憶があります。)
面接場所に伺うと、白髪が目立つ生真面目な面接官が一名のみ、机に座っており、「こちらへどうぞ」と案内されると、すぐに面接が始まりました。
履歴書を提出すると、職務経歴や経験した職種、志望動機など、ごく一般的な面接でのやりとりがありました。現在のような職務経歴書などは持参しませんでしたが、面接官は目を皿のようにして履歴書を見ていました。一夜漬けで書いた手書きの履歴書でしたが、さすがに証明写真は貼っていましたので、落ち度はないだろうと思いながらもビクビクしていたことを思い出します。(笑)
なんなく面接が終わりかけたところ、「夜勤がありますけど大丈夫ですか?」と言われました。特に問題ありません。と答えると、次に「熔炉を扱う工場で、体力を使いますよ。」と大変さをアピールされました。
熔炉??まったく意味が分からなかったのですが、体力には自信があります。と答えると、面接官も2~3回頷きを見せていたので、「いい感触!」と思った瞬間でした。「採用といたします。」と言われ、その場で、出社日や配属場所、入寮する場所までの全て決まり、具体的な説明を受けました。大変なスピード採用で驚いたことを覚えています。


古い木造住宅 六畳一間で寝るには十分

過去に工場で働いた経験はありましたが、自動車業界は初めてでしたので、どのような仕事が待っているのか、全く予想もつきませんでした。
面接時に言われた”熔炉”というイメージもないまま、「なんとかなるだろう」ぐらいの軽い気持ちで現地に赴きました。日産自動車の門を入ると守衛さんに案内された場所に行きました。
もうすでに7~8名が待機しており、簡単な説明が終わると、バスに乗せられ、寮に向かいました。バスで20~30分程度移動した所にある寮は、見たところ築30年といった感じの古い木造住宅でした。
後で聞いた話ですが、会社の近くの寮はいっぱいで入れきれず、会社が借り上げ社宅として買い取った場所とのことでした。
壁一枚の古くてすぐにでも壊れそうな部屋でしたが、六畳一間で寝る分には問題ないかなというような部屋でした。その日は、あまり寝れませんでしたが、翌日から仕事となり、指定のバスの停留所へ翌朝6:30頃集合しました。


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半年間 慰労金目標に頑張ろう

現場に入ると、作業服に着替え、二重の手袋と目をガードするゴーグルと耳栓、ヘルメットと安全靴を着用しました。二重の手袋は、通常の軍手と、その上に硬くて大きめ、手首まで覆う作業用の手袋です。
やけどや怪我防止の為のものです。耳栓は、現場では、とてつもない大きな金属がぶつかり合う音がする為、難聴予防用に欠かせないとものだと説明を受けました。ゴーグルは、エンジン回りの様々な部品を研磨する時にアルミ片が飛び散り、目に入ると大変危険な為、対策するというようなものでした。安全靴は足先に鉄板が入っている大きめの靴で物を落としても怪我をしにくい構造となっています。
現場に入り、さらっと説明は受けましたが、その時は「へぇ~そうなんだ」ぐらいにしか思いませんでしたが、よくよく考えてみると、テレビや写真で見ていた車の製造工程での仕事と全然違う、イメージと全然違うじゃん!!と愕然としました。ここでやっと面接時に聞いた”熔炉”での作業という意味が分かりました。
車のエンジン回りはアルミなどの金属で出来ており、熔炉の中で金属を溶かし、大きなマシンに鋳型を設定して型を作り仕上げていき、プレスするという製造工程だったのです。
その為、ここの現場は、部品が重いだけではなく、やけどや怪我などの危険が伴い、装備を怠ると、難聴などの後遺症がでるような、初心者には、とても厳しい現場だということが分かりました。
しかし、不安はあってもやるしかない。半年間の期間工だし、やり切れば慰労金もでるし、頑張ろう。と自分を励まし取り組みました。
その後現場のリーダーらしき人から、本日の仕事の場所の指示などがあり、最後に、今日も怪我がないように安全第一で取り組もう。というような言葉を、感情を入れて大きな声で仰っておりました。正直、そんなに怪我が多い現場なのかなと不安にもなりましたが、やるしかない。と言い聞かせ仕事に取組みました。


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・勤務した会社 :日産自動車 富士工場(現在はジャトコ)

・口コミ提供者 :50代男性

・口コミ提供日 : 2021/9/26