【単純で誰でもできるけど、関わる人は選べない】
工場では、良く言えば「言われたことをやっていれば仕事が終わる」ので、現場監督などではない限り作業は単調です。
電子機器の製造なので力仕事や危険作業もなく誰でもできるというのが良かったところですね。
ただ、残業や休日出勤も多く自分の時間を取れないことや、人間関係が悩みでした。
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【大手企業だからこそ、働く前とのギャップが凄まじかった】
実際に勤めるまでは「日立」という名前から安定は約束された物だと思っていました。
しかし、このご時世ではそう長くは続かず。いざ勤めてみると、7年の間に私の勤めていた工場は、日立製作所本社の直轄から子会社に降格。
私も含め若い社員は他の日立グループ会社へ出向することに。家庭を持つ中堅社員でも変わらず出向。
会社の都合とは言え、同期の社員やお世話になった先輩があちらこちらへポンポンと旅立ち、バラバラになるのは寂しかったですね。
【7年間勤めても給料は上がらず、残業代に頼っていた】
私の勤めていた工場は給料の基本給は手取りで15万円ほど、7年間勤め続けていましたが給料はあまり上がっていないという印象です。
残業が月に最低60時間あったのと隔週で夜勤があったので、夜勤も行うと手取りは大体25万円ほどになっていました。
ボーナスは年に2回あり、1回あたり給料2.5ヶ月分ほどで、工場にしては美味しいと感じました。
ボーナスと残業が収入の柱でした。
年収としては少ないですが、残業や休日出勤であまり自分の時間が取れないのでお金もほとんど使わなかったです。
独身で車も持っていなかったので、7年間で800万ほど貯金できました。
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【寮は、ほぼ帰って寝るためだけの場所だった】
私の入っていた寮は会社から歩いて7分。洗面所やお風呂、トイレに洗濯機は共同で、食堂がありませんでした。
なぜかと言うと会社の残業が多すぎて、食堂の稼働時間の間に社員が帰ってこないから食堂がなくなってしまったのです。ですから代わりに寮の向かいにあるコンビニか会社内にある食堂で夕食を済ませていました。
そんな寮暮らしでしたが一番便利だと感じたのはゴミの処分ですね。
寮には掃除のおばちゃんがいて、最低限の分別さえしていれば、段ボールでも金属や電池でも収集場に持っていってくれたので楽でした。
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