寮生活について

中学卒業後、先輩の紹介で静岡県の日清紡績の浜松工場に入社しました。

長野県からだったので、寮生活でした。私にとっては中学の時も寮生活だったので、2度目の寮生活だったのですが、違っていたのは早起きと夜が遅い事でした。

早朝、爆音のチャイムに起こされ眠い目をこすりながら身支度をして、暗い外を眺めながら工場に向かいました。

夏は外が明るくなっているし清々しくおもいましたが、冬は浜松と言えど、顔を洗ったりするのはとても辛いくらい寒かったです。


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学業との両立

私は仕事をしながら社内にある通信制の高校で勉強していました。当時は、会社の敷地内に学校があるのは珍しかったのではないかと思います。

早朝が仕事の時は、午後からの学校、午後からが仕事の時は午前が学校でした。私たちの学年は人数が少ない上に男子が0人でした。それはそれで女子高生と思えば気楽なものでした。

通信制なので4年制でしたが、1年の時は学校と仕事の初めての両立で、慣れる事に一生懸命でした。部屋長さんがもうすでに高校を卒業して短大などに通っているお姉さんで、楽しかったです。

学校は敷地内なので制服に着替えてみんなでぞろぞろと行く感じでした。しかし普通校と同じように文化祭などもあり、毎日のように練習や準備をした事が思い出されます。4年生のゴールデンウィークは沖縄に修学旅行にも行けました。


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仕事について

仕事は正直きつかったです。

40年くらい前になるので機械などの名前も忘れてしまっているのですが、概要としては絹から糸を作るというものです。糸を作ってボビンにまいていく工程でした。途中で切れてしまう箇所が出てくるので、人間の手で繋ぐという仕事です。上手に繋がるととても嬉しかったです。私個人は下手だったので悔しい思いをして何度も何度も練習をして、やっとという感じでした。

仕事の種類は他にもあり、工場も第1・2・3工場までありました。たまに他の作業のところにも顔を出した事はありましたが、用事が終わればすぐに戻ってくる感じでしたので、全然他の工場のことはわかりません。

1年~3年の始めくらいまでは糸繋ぎでしたが、その後は糸を台から外す仕事もしました。機械を操作して何十本というボビンを外す仕事です。先輩に教えてもらいながら機械の操作からリーダーっぽい仕事までなんとかこなせるようになりました。

今思えば「よく頑張ったね」と誉めてあげたいです。


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