わたしは、もうかれこれ派遣生活20年目にはいりました。

その派遣生活でよかったことや、楽しかったこと、つらかったことなどをお話ししたいと思います。

きれいな寮でラッキー

はじめて派遣社員になり長野県松本市に赴任した時のことですが、とにかく楽しくてラッキーなことが多かったです。

まず、案内された寮が2DKのとても広い部屋でした。普通は二人で使うそうなのですがこの寮は派遣先の事業所から車で30分ほどかかる離れたところにあって、わたしは車で赴任していたので、事業所から遠い寮でも大丈夫だったのでこの部屋にきまりました。

他に車で赴任している人がいなかったので、ひとりで使うことになりました。

部屋のほうもリフォームしたばかりで、すごくきれいでした。担当者に話を聞くと、前任者がお風呂のお湯を溢れさせて部屋中水浸してリフォームしなければならなくなったそうです。

住環境もよく、近くにコンビニやスーパーもあり買い物にも便利でした。おまけに南向きの部屋で、隣は畑だったので日当たりも最高でした。


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クリーンルームでは誰かわからない

これは笑い話なのですが、クリーンルームで作業する時にクリーンスーツと呼ばれる全身白ずくめの作業着を着用して、顔はマスクをして目だけを出して作業をします。そのため、誰かわからないので名札を付けていますが、休憩時間などは名札の付いていない作業着に着替えるために、誰か誰だかわからなくなります。

派遣先の社員さんですごく目のきれいな人がいたのです。

わたしはさぞかしキレイな女の人だと勝手に想像していたのですが、休憩時間にその人を探してもなかなか見つからずに、ほかの男性社員さんにどの人か尋ねると、笑いながらあの人だと教えてくれました。

わたしが想像していた人とは全く違い、まさかの男の人だったので、愕然としたのを覚えています。

仲間との楽しい日々

みんな、色々な地方から赴任してくるので地元の話をきっかけにしてすぐに仲良くなれました。

すぐに工程内で7,8人の仲間ができ、派遣先の社員さんも参加してみんなで誰かの部屋で鍋パーティーをしたり、カラオケに行ったり、休みの日にはわたしの車でドライブに行ったりしました。特に仲の良かった2,3人で長期休暇の時などは旅行にも行きました。

仕事のほうも、いろいろな作業をできる多能工を育成する方針で仲間同士作業を教え合いわたしのスキルもどんどんレベルアップしていきました。

公私共に充実した日々が続きとても楽しい派遣生活の第一歩を踏み出しました。

派遣社員の宿命

どこの事業所でもそうなのですが繁忙期をすぎると、どんどん仲間が減っていきます

わたしは長期契約だったので繫忙期が終わっても残りましたが、繫忙期のみの契約の仲間もいて櫛の歯が欠けたように、ひとり、またひとりと仲間がいなくなっていくのがとても寂しかったです。

また、半年間だけ仕事をして残り半年間は世界中を旅行しているという人もいました。

それから、わたしも契約が満了となったので違う地方に行きたいと希望して松本市を離れました。

そののち、幾つかの派遣会社と契約しいろいろな地方を転々しましたが、なんとか現在の派遣会社で滋賀県に落ち着きました。

ところが、ある日体調を崩して病院に行ったところ、医師に最低でも1週間の静養が必要と言われたのですが、1週間も休めるわけもないので3日間だけ休みました。そして、仕事に復帰したのですがやはり体調が優れず早退を繰り返していました。

見かねたチーフリーダーに事情を聞かれたので、隠していた病気のことを正直に話したところ、診断書を出せば1週間の休暇を取っても構わないと言われ1週間の休暇願と診断書を提出しました。

2日後、派遣会社の担当者から連絡があり繫忙期に入るのに長期休暇は認められないと事業所から言われたそうです。

簡単に言えば、病気を理由にわたしは契約を突然打ち切られたのでした。こうして、わたしは現在無職で病気療養中です。

幸い失業保険のほうは病気退職扱いにしてもらえたので、失業保険の給付をすくに受けられました。派遣社員にとって繫忙期か終わり減産が始まると契約を打ち切られて、また病気で長期療養が必要になったときなどは契約を打ち切られることが多いのです。

これを読んでくださっている皆さんも体調管理には十分気をつけて派遣生活を送ってください


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勤務した会社:ダイキン工業 滋賀事業所

口コミ提供者:50代 男性

口コミ提供日:2019/7/01