働くきっかけ

今から7年前、私は30歳になる年に会社を辞め、地元である栃木県に帰った。

次にやる仕事など何も考えてなかった。


ただただ体を休めるために、栃木に帰った。

帰ってから3ヶ月が経とうとした頃、そろそろ仕事をしようと思った。


親から「スバル期間工で働いてみたらどうだ」と言われ、やってみようかなと思っていた。

スバルとは自動車メーカーの富士重工業株式会社の事であり、スバルの愛称で親しまれている。


群馬県太田市にあり、私が住む栃木県足利市から、車で30分位の所に位置する。

噂では軍隊の様で期間社員は奴隷のように扱われ、ほとんどの人が1年もたずに辞めていく。


それを聞いて最初はゾッとしたが、何より給料がいい事もあり働く事にした。

そう、それが地獄の始まりだった。


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配属

スバルは一直(早番)二直(遅番)に分かれていて、1週間毎に交代する。

朝は6時半から始まり16時半前には終わる。


夜は16時半から始まり深夜1時には終わる。

配属先も沢山あり、どこに配属されるかで仕事の大変さが大きく変わるらしい。


私が配属したのは第五ペイント科。

もちろん第五ペイント科がどれほど大変なのかなんて知るよしもなく、初日を迎えた。


だが私は事もあろう事にいきなり遅刻をした。

道に迷ったのである。


遅れる事を会社に伝え、なんとか辿り着いた。


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波乱のツートン工程

急いで作業着に着替え現場に入ると、当時の課長に仕事場を案内された。

そこには1人の男が仁王立ちで立っていた。


課長に「あなたに仕事を教えてくれるSさんです。」と紹介された。

恐る恐る顔をみると、Sさんはマスクをしていたが、マスクの下からはみ出るほどの無精髭を生やし、白髪交じりの髪、なんかいかにも昔ながらの職人の様な風貌をしていた。


「き、厳しそう」それが第一印象だった。

そして肝心の仕事の内容だが、ここは車のペイントを2色に分けるために張り紙を貼る工程の様だ。


車が何台か流れてきた。

Sさんは車の前にある小さな台車に座り、張り紙を貼り始めた。


物凄い早業で次から次へと張り紙を貼っていく。

前が終われば台車で真ん中、後ろと移動し、あっという間に1台貼り終えた。


まさに職人芸であった。

正直私には出来る気がしなかった。


初日は見てるだけで終わった。

2日目から徐々に貼らせてもらえるようになり、1週間が経つ頃には1台貼れる様にはなったが、Sさんと比べると、汚いし、時間も倍以上かかってしまう。


まあそれでも一ヶ月が経つ頃には、大分綺麗に貼れる様になり、作業も早くなった。

そしてある日の朝、仕事前に休憩室で一服をしていると、Sさんが来たので話し掛けた。


私、「今日は何台位ツートン車きますかね?そろそろ一人で任せてもらえませんか?」

Sさん、「あれ、お前に言ってなかったけ?昨日でツートン車は作らなくなったんだよ」


「え、ええー!」

というわけで、私のツートン工程での日々は終わった。


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異動先は…?

働き始めて、3ヶ月が経とうとしていた。

私は何をしているかというと、ドアが閉まらないようにひたすら金具を付けていた。


正直金具を付ける意味なんて分からなかったし、興味もなかった。

金具を付けるのはどこの工程にも属さず、誰にでも出来る。


いわゆる雑用的な仕事だった。

どこの工程も人が足りていて、ツートン工程が失くなったため、私に居場所はなかった。


それから数日が経ち、いつもの様に金具を付けていたら、班長に呼ばれた。


班長、「明日から磨き工程に移ってくれ」

私、「はい、分かりました。」


ようやく金具から解放されると思い、嬉しくなった。

しかし、本当の地獄はこれから始まるのである。


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磨き工程

磨き工程とは、やすりでボディーに付いているゴミを研ぎ、コンパウンドという白いクリームの様な物を付けて、機械で削ったあとを消す工程である。

最初の1週間はラインに入らず、壊れているボディーで練習をした。


ゴミをやすりで研ぐのが凄く難しく、絶妙な力加減で削らないと、ボディーが傷ついたり、ヘコんだりしてしまう。

またポリッシャーで研いだあとを消すのも、なかなか消えない。


班長もたまに見にきてくれて、「慣れだよ、慣れ」って言ってはいたが、1週間が経ち、慣れないままラインに入る事になった。

ラインに入るとさらに難しいのだ。


何故なら車が動いている。

社員や期間工で何年かやってる人はまるで魔法でも使ってるかのように、次から次へとゴミを研いでいく。


私はというと、まるで研げない。

たまに研げたと思うと、ボディーがヘコんでしまう。


それから苦悩の日々が続き、毎日怒られた。

やってもやっても一向に研げるようにならない。


遂に私はやすりを家に持ち帰り、テーブルの上で練習する事にした。

いろんな方向から研ぐ事、手の動かし方、力加減、テーブルの上だけでは飽き足らず、何を血迷ったか、母親の車を研ぎ始めた。


さすがに怒られたー。

まあでも、本当に慣れだった。


磨き工程に入り1年が経とうとした頃には、ようやくコツを掴み、自在自在に研げる様になった


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満期まであと半年

そして入社してから2年半が経った。

期間工は満期は3年で終了だ。


そう、あと半年で私の期間工が終わる。

そんな時事件が起きた。


その日はゴミの量がいつもの3倍近くあり、ラインを止めて私は作業をしていた。

もちろんラインを止める事はいい事ではない。


ラインを止める事は全工程が止まる訳である。

しかし私は止むを得ず何回かラインを止めて作業をした。


それを見かねたのか、班長がラインに入ってきた。

そして私に、こういった。


班長「なに、ちんたらちんたら仕事してんだよ!だから止めないとゴミが研ぎ終わらねんだろ」

私「ちんたらなんかやってねえよ!俺は本気でやってんだよ!限界までやってんだよ!つうかゴミの量みろよ!おかしいだろ!だったらお前がやってみろ!」


はい、言ってしまった。

あと半年ですが、今日で辞めようと思った。


班長は唖然としていた

そりゃあそうでしょう。


私はもともとは上に噛み付くタイプですが、ここではおとなしくしていたので、びっくりしたでしょう。

その日の作業が終わり、もちろん班長に呼ばれた。


謝られた

あと半年だけど、満期まで働いてほしい。


私も生意気言ってすいませんでしたと謝った。

そしてなんとか満期の日を迎える事が出来たのである。


班長にこう言われた。

「俺が磨き工程で班長やってから7年経つけど、満期まで働いたのは、お前入れて2人だけだ。」


え、ええー!、ま、マジ!たったの2人!

ちょっと誇らしくなった。


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勤務した会社:富士重工業株式会社(現株式会社SUBARU)

口コミ提供者:30代男性

口コミ提供日:2019/3/13